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競馬放浪記(11)




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 サイパンへ行くため、パスポートを申請したが、受け取りの締切はたしか一ヶ月後だったと記憶している。
 リトルガリバーで叩きだした十万など、その一ヶ月でなくなってしまった。一ヶ月もかからなかった。幸いなことに――というか、誘いの電話以来、Tから連絡はまったくなく、サイパン旅行の話自体、どこかへ消えてしまった。
 結局、パスポートを取りにはいっていない。パスポートを受けとるのに必要な金すら惜しんだのだった。
 末期だった。
 延命だけのために、馬券購入の金額を百円単位にし、競馬場へ行くこともやめてしまった。PAT購入のスタイルに変更した。購入スタイルもかわった。馬連――流し馬券を基本にした。軸を決めての流し馬券。ただし購入金額はそれぞれに厚みをつけ、的中すれば、二倍になるようにした。そのための、PATの通信ソフトがオッズを受信すると、そのファイルを読みこんで、組み合わせを指定すると、金額を自動的に算出するプログラムを組んだ。言語はTcl/Tk。
 データ競馬だったが、半年ぐらいしな保たなかった。
 一度、万馬券が的中したが、その分はその日のうちに消費した。


 Tさんへの無心の間隔が狭まってきた。
 ある日、ぼくから目をそらしながら彼女がいった。
「わたし、ヒモを養うつもりはないのよ」
 小さく囁くような声だった。


 1999年の夏競馬が終り、中山競馬場に開催が戻ってきた。
 資金はなかった。そのはずなのに、ぼくは競馬場へは通っていた。
 暇なときはスカパーの無料の映画を観るか(Tさんがグリーンチャンネルを視聴するために、スカパーにはいっていた)、パソコンをいじるか、喫茶店で本を読んでいた。近くのハローワークへ行って様子を伺ったこともある。
 仕事の案件よりも仕事を探す人の方が多かった。
 そんなある日、Wさんから携帯の方へ電話がはいった。
 仕事をしないか、いう連絡だった。
 限界なのはわかっていた。自分にできることもそんなに多くないこともわかっていたし、時期的に二千年対応の仕事がはいってくることもないだろうと思えた。それでも条件をつけることができるような立場ではなかったかもしれないが、条件をつけた。オフコン、ホスト系の仕事はしない、と。
 面接に行く。一年間、ずっと髪を切らずにいたロングヘアのままで、である。心のどこかで仕事がなければ、いいと思っていたのだろうと思う。
 二件目の面接のとき、WさんはこれでOKしろ、とくりかえし、ぼくを説得しようとしたが、気が進まず、受けなかった。三件目でようやくUNIX系の仕事だったのでOKし、仕事についた。Tさんとは別れることになっていたので、引越し費用をためながら――それでも競馬へ行って負けていた。馬券は完全にくすぶってしまっていた。
 一年半のブランクもあり、仕事ができるのか、不明だった。
 実際に仕事をやってみると、なんとかやっていけた。むしろ以前よりも自由で、昔よりも自分自身のスキルが上がっているのを実感できた。
 馬券まみれの間、暇なとき、パソコンをいじってばかりいたが、それがいつのまにか、スキルアップにつながっていたらしい。将来に向けての投資というつもりはまったくなく――そういう行為自体が大嫌い――、好きで遊びでやっていただけなのだが。


 2000年春、ぼくは引越しし、Tさんと完全に別れた。
 借金を――借りていた金は返したが、それ以外にしてもらったことは金額がつけられるようなことではないので返していないし、返せることもないだろう――返すために、一度、会ったきり、以降、会っていない。


 仕事に復帰してからも本格的に馬券に戻ろうと思い、スーパーパドックをふたたび、購入したりした。正直、新しいバージョンのこのソフトは金儲け主義に走っているように感じられて嫌悪を感じ、捨ててしまった。
 パドックだけをよすがとして馬券を買う。
 負ける。負けつづける。
 買い方も、複勝のみの一点買いなど、いろいろと試す。


 まだ、負けた分は取り返せないでいる。



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Takehiro Yamada