競馬放浪記(6)
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当時のぼくはパドック派とはいえ、まだスーパーパドックの出力したスピード指数を必要としていた。ところがスーパーパドックは地方競馬には対応してなかった。
しかたないので地方競馬用にスピード指数は自前で計算することにした。
基本的な考え方はアンドリュー・ベイヤーの「勝ち馬を探せ」でわかっている。テキストベースだが、perlあたりを使ってプログラムを組んだ。ただ、元になるデータは中央競馬のように売られてなかったので、競馬新聞から自分で入力した。
そのスピード指数と自分の馬を見る目を信じて地方競馬のパドックにも立つようになった。毎日のように。あっという間にこれまでの人生ではなかったくらい黒い顔になってしまった。
さすがに毎日のように競馬を見ていると、騎手の区別もつくようになってきた。
地方競馬は騎手から買え、といわれるが、なるべくそうしないようにしている。それというのも、一度、女性ジョッキーだから、と非常に良く見えた馬を切ったところ、見事に勝たれてしまったことがあるのだ。
やはり競馬の基本は馬だと。
唯一の例外――それが武豊だった。
武豊が天才か、どうかは知らないが、勝負師であることだけはまちがいない。
おそろしく大胆な騎乗をするときがあるのだ。それで何度も煮え湯を飲まされた。武でも無理だろう、と思う馬を勝たしてしまうことがあったのだ。
そして、今でも思っているのだが、G1でサンデーサイレンス産駒騎乗の武は買い、である。おそらく武ほど、サンデーサイレンス産駒と相性のいいジョッキーはなく(あれほど勝てなかったステイゴールドを勝たせたのも武だ)――たぶんだが、その乗り方をスペシャルウィークあたりから会得したのではないか(もしかしたら菊花賞のダンスインザダークで気づいたのではないか、とも思っている)。
その特徴的な乗り方は後方からの競馬ということだ。スタートをわざと遅らせ、折り合い重視で最後の直線でぶっちぎる……。まれにサイレンススズカのときのように、逃げるタイプの乗り方をすることもあるが、おそらく他馬といっしょに走らないという点で、同じ乗り方なのだと思う。
というわけでディープインパクトが日本ダービーに勝ったときを題材にしたテレビ番組で出遅れた、大変だ、とナレーションがあおりたてていたけれど、白けることこの上なかった。たしかにスタートの瞬間、ディープインパクトはゲートの中で跳ねていたが、ぼくには武豊が手綱を絞っていたからのように見えてしかたなかった。
閑話休題。
十月、十一月、十二月と競馬場に通いづめてぼくは、九月の浮き分などすぐに吐き出し、まさに転がるように負けていった。時折、浮いて終ることができる日があったとしてもそんなのは何かの気まぐれが起きただけのような状態だった。
エクセルでつけていた収支をグラフ表示すると急角度で右下へ落ちていっていた。
そして、その年の有馬記念はTさんと中山競馬場へ行った。彼女は他の競馬仲間と客席で、ぼくはパドックで競馬。あまりの人ごみにパドックに見るどころか、馬券を買うことすらままならないような状態だった。
もう競馬じゃなかった。
それでも九レースだったか、武豊騎乗でスーパーパドックの指数が抜けているにもかかわらず、抜けた一番人気ではない馬がいた。パドックを見ることはできなかったので迷ったが、その馬の単勝勝負。それで、その日――というよりその頃、負けを押しとどめるために、五万をこえたら競馬場をあとにすると決めていた――の目標額を達成できたので、Tさんを残して帰ったのだが、有馬記念をグリーンチャンネルの競馬放送で見ていてあまりにも武豊のマーベラスサンデーが抜けて見えたのでTさんのPATを借りてがつんと勝負してしまった。
結局、マーベラスサンデーはゴール寸前でシルクジャスティスに差されてしまい、ガミ。悲鳴を上げてしまった。Tさんは競馬仲間がシルクジャスティスを応援していたので、見事においしい馬券をゲットしていた。
調べてみると、マーベラスサンデーもサンデーサイレンス産駒だったのだがなぁ。
まだ、極端にうしろから行くような競馬はしてなかった(スペシャルウィークは翌々年以降)。
年が明ける頃には、ぼくの競馬の負けはあっさりと百万をこえていた。
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