競馬放浪記(3)
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自分の記憶の中では五年ぐらいの期間だったような気がしたけれど、調べてみるとはるかに短く1年半ほどだったようだ。馬券まみれになっていたのは。
ぼくに興味があったのは競馬ではなく、馬券でしかなかった。
馬券からしか、競馬を見てなかったのだけれど、今でもそれは正しいかかわり方だと思っている。だからほとんど、世間が騒ぐG1だとかのグレートレースには興味はなかった。今でも今週のダービーは買わないんですか、とかいわれることがあるけれど。
それでも皐月賞と日本ダービーを獲ったサニーブライアンのことを印象に残っている。
たぶん世間的にはあまり強い馬ではなく、たまたまという評価だろうが、ぼくは強い馬だったと思っている。というか、二冠をとって弱いもないだろう。菊花賞に挑戦できなかったのは故障のせいだしね。
実はサニーブライアンの馬券はほとんどとっていない。
当時、弱いとの評価するマスコミに流されしまったのだ。二冠、とったあとも他馬が牽制しあっていたから逃げ残れたとのたまう解説者がいたくらいだ。だから皐月賞もダービーも馬券は買っていなかった。Tさんはしっかりと買っていたが――下位のころにぼくが気にして追いかけていた馬だったからだった。
たぶん博打という意味では彼女の方がすぐれていた。実際、彼女は回収率が九割を越えていたし、――ぼくはせいぜい八割でしかない――ツキも強かったように思う。二度ほど買いまちがえた馬券が的中したのを目撃したことがある。その一回は万馬券だったのだ。そのときは本当に唖然としたものだ。
ぼくは今だ、買いまちがえで的中したことはすらなく、むしろ買いまちえたときに限って買うはずだった馬券の方が的中しているていたらくだった。
唖然とするしかない。
彼女と馬券において決定的にちがっていたのはぼくがパドック派だったことだろう。
複勝ころがし、ターフジーニアスの万馬券――それらのことで勘違いしてしまったとしてもしかたなかった。自分としては見れると信じているが、それが単に偶然の産物で、的中したときが印象に残っているだけなのではないかという疑いはつねにある。
それでも夏競馬のとき、ウィンズと化した東京競馬場で最終レースのパドックをテレビ中継で見て、この二頭しかいない、という見立てで万馬券をゲットしたりしているのだ。ただ、そうでないときもあるわけだから、本当に馬を見る目があるとはいいきれないわけだ。それでも深い確信を得るときがあり、そのとき、的中したときの快楽はおそろしく深い。
その快楽度においてぼくはTさんよりも競馬にはまりこんでいったのだろうと思う。
1997年夏の終り、バブル後の冷えこんでいった景気の中、仕事がひとつ中止になった。
それがきっかけだった。
きっかけにしかすぎなかった。
二度とプログラマーあるいは、システムエンジニアの職には戻らない。
細々と貯めてきた五百万を元手に、馬券で喰えるか、試してみるつもりだった。
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Takehiro Yamada