
競馬放浪記(1)
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三十五のころまでレース系のギャンブルはやったことがなかった。
いわゆる競馬や競輪やオートなどのギャンブルだ。麻雀、パチンコなどは御他聞に漏れず、浪人したときに手をつけていたけれど。田舎育ちなので、そういう環境がなかったというわけではなかった。大学生活を送った佐世保では競輪があったし、生れ故郷の長崎には大村競艇場があった。
きっかけがなかったことが大きいが、興味がなかったことも事実だ。
中島梓が何かのエッセイでいっていたように、「騎手なら競馬もやってもいいけれど」というのに気分的には近い。プレイヤーとして参加できないギャンブルには興味が持てなかった。
三十四、五は変化の年だった。
五年の結婚生活にピリオドが打たれ、世間はバブル崩壊の後始末に苦しんでいた。
そのころつきあいはじめた女性が競馬に手を染めていて、ダンスインザダークの菊花賞を観戦に、京都競馬場へ行く彼女にたのんだのがはじめての馬券だった。予想も何もないスポーツ新聞の馬柱を眺めて適当に選んだものだ。ただ、さすがに岡部と武豊の名前は知っていてその目から、三点ほど選んだ。結果は武豊のダンスインザダーク、岡部のロイヤルタッチで決まった。配当は二千円ちょっとついたと思う。三万ちょっとの浮き。その金でパソコン用のCDドライブを買った。
最初はTさんにつきあっての競馬だった。
まだ、電話投票の権利をもってなかった彼女は毎週末、後楽園のウィンズへ馬券を買いにいく。それにつきあっていた。ぼく自身、馬券オヤジたちのあつまるウィンズのくすんだ雰囲気がけして嫌いじゃなかった。その上、ビギナーズラックだったのだろう、適当に買う馬券がけっこう、的中したのだ。Tさんが憮然としてしまうほど。
彼女が予想に使用していたのはスーパーパドックというスピード指数をベースにしたシステムだった。その出力結果をちょこちょこと見て馬券を買うぼくの方が的中していたのだ。彼女が憮然としても当然だった。やがてスーパーパドックの説明書をたんねんに読んで、その発想を理解した。
いずれにしてもどのようなとっかかりで、予想するか、その手段は必要だったのだ。
不思議なことに競馬というシステムを知るにつれ、負けがこんできた。
そこでレース結果とスピード指数の関係を三ヶ月分、調べてみた。特定の買い方で、毎レースつづけると、当たったり外れたりしながらも浮くということがわかった。それを試してみることにした。百万を用意した。それがなくなるまでつづけてみることにした。
そのため、馬券を予想するという楽しみを失なってしまった。
それを補償するためだったのだろう。
複勝ころがしをはじめた。
後楽園のウィンズのテレビ中継を眺め、パドックと返馬を見て一頭を選んで複勝を買う。的中したらその換金した金をそっくり次の馬券――複勝につっこむ。千円からはじめ、途中で負けても千円の負けにしかすぎない。
目標額は百万にして毎週のように1レースか、2レース、ぽつぽつとやった。
ちなみに競馬で――というか、馬券で百万円はひとつのステータスだ。
というのも、通常の払い戻し窓口では百万の払い戻しはできないからだ。高額払い戻しという特別な窓口に行かなれば、いけないのである。百万だと帯封つきということもある。
複勝ころがしは一度、失敗したが、二度目がつづいた。十万をこえるところまできた。まったくの偶然なのだが、その頃、競馬専門誌の「ギャロップ」で藤代三郎が「馬券の真実」というコラムで複勝ころがしをやっていたのだ。それもつづいていた。それに歩調を合わせるように馬券は転がっていった。
新潟か、福島か、小倉か――いずれにしても裏開催だったということだけ記憶している。たぶん、昼休みあとのレースだ。穴目の複勝を購入。最後の直線、かたまった馬群の中を縫うように買った馬がつっこんできて三着にきた。払い戻しが確定し、Tさんがささやいた。五十万、こえた、と。
最初は何かの冗談だと思った。通常、複勝馬券で三倍をこえることはめずらしいし、それで十万から五十万になることはないと思えたのだ。計算してみると、元金が十三万ぐらいで、確定したオッズはほとんど四倍だった。ぎりぎり五十万になることがわかった。
驚いた。
もっとも並行してやっていたスピード指数まかせの馬券では五十万以上の赤字をだしていたので、トータルでは全然、赤字だった。それでも五十万で負け額がかなり減る。複勝ころがしを確定させることにした。
今でももう一回チャレンジしていれば、よかったかもしれない、と考える。
試しに、と選んだレースの複勝が2.3倍で的中していたからだ。
翌々週の「ギャロップ」で藤代三郎は複勝ころがしでほとんど百万近くまでいって失敗していた。
その次の複勝ころがしは十万までいったところでこけた。
二頭を選び出し、最後の最後まで迷った末、買った複勝馬券だった。外れたこと自体よりも選ばなかったもう一頭の馬が三着にきたことの方がショックだった。
自動的にスピード指数で買っていた馬券の負けは百万をこえた。
こちらの方も皮肉なことに買うのをやめた次レースが見事に的中していた。
まったく、苦笑するしかなかった。
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Takehiro Yamada