
オタクとオリジナル
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タランティーノの「キル・ビル vol.1」を観ているとき、考えた。
――オタク的とは何だ?
もちろん、「キル・ビル」が極めてオタク的だと感じられたからだ。どうしてか。「キル・ビル」の中でアニメのシーンがあったからではけしてない。
アニメがオタクではないのだ。
「キル・ビル」の中で次のようなシーンがある。
服部半蔵のところをたずねた主人公の前で、服部半蔵とその相棒とのやりとりだ。
「このハゲッ」
相棒、自分の頭を指さしていう。
「ハゲじゃありません。剃ってるだけッ」
このやりとりを観て唖然としてしまった。
「コータローまかり通る」というマンガのネタだったからだ。サブキャラクターの天光寺輝彦のおきまりのセリフだ。偶然とは思えない。なぜなら「コータローまかり通る」は映画化されており、ぼくの記憶に間違いがなければ、天光寺輝彦役はまさに、服部半蔵の相棒の役者が演じていたからだ。もちろん、その映画の中に、服部半蔵役の千葉真一もでている。当時、千葉真一が引きいていたJAPの映画だった。
唖然としたのはこのシーンが何の伏線も効果もなく、唐突に挿入されていたことだ。
少くとも「コータローまかり通る」では意味があった。天光寺輝彦のキャラ立てとして。
瞬間、思ったのはオタクは映画を滅ぼす、ということだった。
もちろんいいがかりだ。
何がオタクかは知らない。
しかし、オタク的と感じる要素のひとつに過剰な形式的な引用、再利用というのがある。過去の映画や小説やマンガのおもしろい要素を集めて、おもしろく思える映画をつくっていれば、やがて映画は衰退するだろう……と感じたから、「滅ぼす」と思ったのだけれど、これはオリジナル問題を惹起する。
オリジナルとは何か、と。
突きつめて考えれば、そんなものはどこにも存在しないということになるだろう。
少くとも作品の内部――属性としてオリジナルという要素はどこにもない。それは他の作品との相関関係で定義できることでしかない。裏には歴史性がある。
はじめて観た映画が「キル・ビル」だった人間にとって「ハゲじゃありません。剃ってるだけッ」というのはオリジナルなアイデアにしか、思えないだろう。
歴史性は始原を求める。
はじまりをオリジナルとして権力化する。
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Takehiro Yamada