さよなら
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「どこへ行けばいい?」
ウィンドサーフィンの道具を積み込んだ有介に和也は訊ねた。
「風向きは?」とスピーカから有介の声がした。
和也は荷台を写し出す左手のスクリーンを見た。放射能防護服を着た有介の姿がそこにあった。
和也は手元の電子機器を覗き込み、答えた。
「南の風、12メートル」
「――江ノ島の……東浜へ」
「わかった」
和也は特殊車両を発車させた。放射能をシャットアウトする閉鎖された車。外の様子はカメラ越しにしか、うかがえない。
大通りに出た。風が吹き抜け、埃を舞い上げていた。
「5年ぶりのアパートはどうだった?」
「部屋で不思議なものを見た」
「不思議なもの?」
「ああ。腐ってない死体。5年もたつというのに」
「微生物も死滅してしまったからな」
和也はスクリーンの有介を見た。ヘルメットのバイザー越しで有介の表情はよくわからなかった。
「奥さんはシェルターに逃げ損ねたんだったな」
「……ああ」
前方で横転したトラックが腹を見せ、道を塞いでいた。
それを避けて和也は車を分離帯の切れ目から右車線に入れた。
枯れて倒れた街路樹。運転するもののない錆び始めている車。そして、歩道に転がる死体。空は青く澄み渡っていた。
和也は無人の料金所を抜けて第三京浜に乗り入れた。路面にはうすく砂や泥や埃が積もっている。ところどころ両側の緑を失った山が土砂崩れを起こしていた。
「防護服なしでどのくらい、生きられるのかな」
有介が訊ねた。
「場所にもよるだろうけど、2、3時間じゃないかな」
「そんなもんか」
「そんなもんさ。シェルターで暮せば、もう少し長く生きられるだろうが」
「おれは癌で余命1年なんだぜ」
「努力すれば、5年はもつ」
「努力する価値はあると思うかい」
「あるかもしれない」
「ないかもしれない」
そういって有介は笑った。
「最後にのたうち回って死ぬのはごめんだ」
「安楽死してもらえばいい。それに放射能症もかなり苦しいらしいぞ」
「でもウィンドができる」
「……理解できん」
「それでいいのさ。理解できるようだったらお前も癌になっている」
和也はぎくりとしてスクリーンの有介を見た。
「どういう意味だい、それは」
「……おれの知り合いのウィンドサーファーはみんな癌で死んでしまった……」
「どうして?」
「ストレスだろうな。ストレスは癌の引き金になるというからな」
「だれでも狭っ苦しいシェルターで5年も暮せば、ストレスぐらい溜まるさ」
「いや。少なくともお前は夢に見ることはないだろう? ウィンドサーフィンをやっている自分を」
第三京浜を抜け、特殊車両は横浜新道を南下して江ノ島に辿りついた。
「あそこの歩道橋をくぐったらすぐ左折してくれ。海岸に出れるはずだ」
有介がいった。
いわれた通り左折すると海岸線に出た。
風が吹いていた。車にぶち当たる風は掠れた口笛のような音を立てていた。
海岸近くの海は次々に押し寄せてくる波に泡立ち、砂の色に染まっている。波が海底の砂を巻き上げているのだ。
沖の海は青く澄んでいた。そのさらに向こうに富士山の姿があった。麓は白く霞みがかっていたが、山頂は白い雪をかぶっているのがはっきり見えた。
有介のつぶやく声が聞こえた。
「――人間がいなくなるとこんなにきれいになるんだ」
「何がだい」
「海。富士山」
「昔のままじゃないのか」
「いや。昔――といっても5年前だけど、海はこんなにきれいじゃなかった。生活排水に黒く濁っていたし、富士山がここから見えるなんてめったになかった」
そういってスクリーンの中の有介が立ち上がった。
「じゃな、おれは行くよ。和也」
「ちょっと待ってくれ」
「まだ、何かあるのかい」
「さっきの話だ」
「さっきの?」
「ああ。仲間のウィンドサーファーがみんな癌にかかってしまった、という話だ」
「…………」
「癌になったのはウィンドサーファーだけじゃない。サーファーもヨットマンもダイバーも癌にかかりやすくなってしまっている」
「みんな、自然に憧れ、ストレスを感じているからだろう」
「これは人為的なものだと考えられないかい」
「どういう意味だい?」
「たとえば、君だ。君はシェルターの外に拡る世界にウィンドサーフィンを媒介にして憧れている。こういう人間はシェルターで暮らしていくには異分子だろ? もしかしたら君の言葉に影響されて外に出たがる人間が出るかもしれない――まだ、そのときがきていないのに」
「――それで」
「君のような人間を排除するため、何者かが人工的に君を癌にした」
「――それで」
「…………」
「たとえそうだとしてもおれは癌なんだろ?」
有介はヘルメットを脱ぐとスクリーンの中でにっこり笑った。強い風に有介の髪がなびいていた。
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Takehiro Yamada