プログラミング




(c) Copyright 2004 Takehiro Yamada . All rights reserved.



 仕事しなければ、飯を食えないのでかれこれ二十年ばかり働いている。
 業務系のプログラマー、あるいはシステムエンジニアとしてである。レベルは並の上というところだろうと思うが、とてもじゃないが、ハッカー(この場合のハッカーは犯罪者としてのそれではなく、きわめて優秀なプログラマーと意味だ)にはなれそうにない。
 才能がない。
 決定的に欠けているものがある。
 創造性だ。


 ハッカー(この場合のハッカーは犯罪者としてのそれではなく、きわめて優秀なプログラマーと意味だ)として有名な人物にたとえば、リチャード・スツールマンがいる。Emacs の作者だあり、GNU を立ち上げた人物でもある。Emacs はテキストエディタであり、元々は製品として売られていた Emacs だったものをフルスクラッチで造り直したものだという。
 たとえば、リーナス・トルバースは Linux のコアを造り上げた――それはほとんど正確に POSIX の仕様をインプリメントしたものだという。
 独創からはじまったわけではないにもかかわらず、Emacs にしろ、Linux を造ることはきわめて創造的なことだ。既存の仕様通りにつくったからといってその中にこめられる様々なアイデアがないわけじゃないし、おそらく造るということの快感が存在するのだろう。
 多数のフリーウェアの作者の存在がそのことを示している。
 プログラミングすることは快楽なのだ。


 ひるがえって自分自身だ。
 プログラミングすることの快楽は知っている。にもかかわらず、何かのソフトを造り上げようとする欲求はない。やってみたいという気持ちはなくはないのだが。たぶん、ぼくにとってプログラミングというのは問題解決の手段なのだ。それはほとんどパズルを解くことに近く、パズル自体を造ろうという欲求はない。
 どうしても欲しいソフトがないからといってそれを造ろうという気になれないのだ。
 好みのエディタがないからといって Emacs をつくってしまうような酔狂な真似はできない。OSをつくってみたいからといって Linux を実際につくってしまうようなことはできない。あまりにも手間がかかりすぎるし、ある意味、それは本末転倒であるともいえるからだ。本来、使うことが目的だったはずのことが、造ることそれ自体が目的になってしまうその転倒。
 その転倒こそが、創造ということなのだろうが、ぼくは転倒することができない。一般人の常識的なバランス感覚が邪魔をする。


 創造することはつねにまず、情熱を必要とするというわけだ。



Return To HomePage | Return To List Page

Takehiro Yamada