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Matrix異聞2




(c) Copyright 2004 Takehiro Yamada . All rights reserved.



 オマージュという言い方はなじまない。
 それは作り手がいう言葉だからだ――つまらない作品をつくったときの作り手のエクスキューズかもしれないが――。だから観客側がこれは何々という作品へのオマージュだというのには違和感がある。
 もちろん、まったくこれはオマージュだ、と思わないわけではない。たとえば、平成版「ガメラ対ギャオス」を観たときには昭和版のオマージュだと思わずにはいられなかった。見事に換骨奪胎している、と。


 押井守の「攻殻機動隊 Ghost in the Shell」を再見して遅ればせながら「Matrix」の銃撃戦のシーンは「攻殻機動隊」の影響下にあったのだ、と気づいた。
 が、パクリとは思わなかった。
 オマージュとも思わなかったが。


 どうしてだろう。
 以前、「Matrix」をパクリだと難癖つけたときとは何がちがうのだろう。


 結局はそのシーンのおもしろさ、はまり具合に評価がわかれているようだ。
 銃撃戦は「攻殻機動隊」を越えているおもしろさがあった。
 けれど、銃弾がネオ・アンダーソンの前で停止するシーンは――実は「リローデット」の銃弾ストップ・シーンはOKなのだ――ネオが銃弾をつまむというシーンの無意味さが嫌なのだろう。いや、無意味というわけではないのだが、「ジョジョの奇妙な冒険」のディオのスタンド、ワールド21が銃弾をつまむシーンをこえているとは思えなかった。そこからもってきただけじゃん、としか思えなかった。
 なぜか。


 ワールド21が銃弾をつまむのは時を止める能力ゆえにである。
 時間を停止して銃弾をつまむのだ――。
 では「Matrix」はどうか。
 空中で銃弾が停止するのだ。


「Matrix」はネオがスーパーマンになる映画である。一番、最後のシーンなど、まさにその自己参照的パロディだ。ところがスーパーマン化していく過程で(死を経てなるのだが――神話的なメタファーですな)その能力は速さだった。ネオたちの能力をこえるエージェントは銃弾をよけることができるほどのスピードで動くことができる。そのシーンの直後、ネオは銃弾をよけるスピードを一瞬、得る……。
 だからネオがスーパーマン化したとき、超スピードで銃弾をよけたのなら違和感はなかった。なのに銃弾が空中に停止するのである。
 この飛躍は唐突すぎる――評価が悪くなった所以である。そのあとのエージェント・スミスの内部にはいりこんで爆破するシーンなど、なんでそんなことができるのか、理解不能なほどだ。いっておくが、そこに何か理論的な理屈や説明が必要なわけではない。
 たとえば、「エイリアン3」でエイリアンを倒すシークエンスがそうだ。
 灼熱した溶けた鉄から飛び出したエイリアンが急激に冷やされて爆発してしまうシーン。あのシーンは冷静に考えれば、おかしいし、ありえない――けれど納得させられるようにつくられている。途中のパニックシーンで熱っせられたバケツが急激に冷やされて弾けるところが巧妙に挿入されているのだ。そのバケツとエイリアンの肌合いはきわめて酷似するようにデザインされている――そのことによって観客はエイリアンの爆発するシーンを受けいれるのだ。バケツの弾けるシーンと無意識に重ね合わせることによって。
 けれど、「Matrix」にはそのような伏線などなかった。


 そういう意味で「Martix」をパクリという非難するのは不当だったかもしれない。
 ストーリー的におかしい、というべきだった。



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Takehiro Yamada