
博打考2
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不思議なのは予想を買う人がいることだ。
JRAの場内にはいないが――禁止されているのだろう――、公営競馬場の場内には予想屋が店をだしているし、JRAにしても会員になれば、予想をFAXサービスしてくれるものがある。そこには有名な元騎手が名前が連ねられたりする。
それらの予想を金をだして買う人たちがいる。
予想屋が商売として成立しているのだから、買う人がいるということはある意味当然なことだが。
ここで考えている博打は日本の競馬に限定のことだ。
そして、日本の競馬のシステムからいって予想を買うという行為そのものが理解不能だ――なぜならオッズは賭けられた投票数で按分されるからだ。
つまり自分の買った馬券以外の組み合わせを他人がより多く買ってくれることが望ましい。予想を売るということはそのことに反している。
そのことはぼくには極めて当然のことに思えるのだが、予想屋が成立しているということは当然だと思ってない人が多いということを示している。
競馬新聞には予想が載っているではないか、という人がいるかもしれない――ぼくは競馬新聞すら買わないが――。しかし、あれは情報を、過去のレースの情報を買っている人が大部分のはずだ。
もちろん、プラスを計上できるにもかかわらず、予想を売るというケースは想像できる。
計上されるプラスよりも予想を売った方が安定して儲けが大きい場合だ。金額よりも安定しているということの方が理由としては大きいかもしれない。
いずれにしても「我が社は皆さんに儲けていただくために、予想をお売りしてます」などという宣伝文句は信じない方がいい。実はぼくはすべての金融商品も同じことだと思っている。競馬の予想よりははるかにリスクは低いだろうが。
金融商品は優秀な数学者が生み出しているからだ。リスクは低い――しかし、確実な儲けにはならないだろう。なぜなら金融商品は銀行が利益を上げるために――換言するなら銀行のリスクが低くなるように――販売されているだろうからだ。固定金利の定期預金ですら、物価の上昇を考えれば、マイナスのはずだ。デフレの昨今では限りなく金利が低いのはしかたがないことだ。
待てよ。
金利をわずかとはいえ、つけているのは銀行側が負けにきているからではないか?
金利をつけなければ、金は集まらないのだから。ということは今、定期預金をつくることは大局的に見れば、儲けになるのではないか?
もっともそのことは銀行が倒産するというリスクを背負ってのことになるだろうが。
まぁ、いずれにしても銀行がみすみす負けにきているとは考えづらいことか。向こうはお金のプロなのだから。
話がそれた。
何がいいたいのか。
予想が当たるのなら売るよりも馬券を買った方がいい、ということだ。それをしないということはその予想は当たらないのだ。つまりすべての売られている予想を信用してはならない。
同じように、自分の回収率が80%であるときに、テラ銭が25%であることを前提に次のようなことをいうやつがいる。
――JRAに5%、勝った、と。
これはまちがいだ。
あなたの馬券の回収率がたとえ100%を超えていたとしても――つまり浮いていたとしても、JRAは痛くも痒くもない。テラ銭はあらかじめ、とられているのだ。あなたの浮き分はJRAからでているのではなく、隣で負けている親父からでているのである。
だから昔からよくいわれる競馬八百長説は何なのだろう。
その説によると、八百長を仕切っているのはJRAであるのだが、そこには何の意味もないのだ――なぜならどんなオッズの当り馬券がでようともJRAの取り分はかわらない(端数効果というやつは存在するが)。
JRAが八百長をする必要はないのだ。
だからケントク買いのすべては嘘だといい切れる。レースをコントロール可能な唯一の存在であるはずのJRAにはレースをコントロールする必要がないのだから。
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Takehiro Yamada